小さい頃、水泳が苦手だった。
水が怖くて、顔をつけられなくて、
顔をつけられても今度は目が開けられなくて、
ちょっと泳げたと思っても飛び込みができなくて・・・
先を恐れ、思い切ったことができない。
ちょっとした壁が越えられない。
そして、まともに泳げないまま大人になった。

その臆病さはそのまま自分の生き方で、
その積み重ねが今の自分である。
自分のための努力をしようとせず、
人に流されるままの自分を正当化して生きてきた。
「人のため」と誤魔化しながら、人の役に立たない人間になった。

最近、私の周りに、自分のために様々な挑戦をしている若い人たちがいる。
目先のお金ではなく、将来の自分に向けて努力している姿。
あえて水の中に潜って、
向こう岸へ渡ろうとしている人たち。

自分で進んで潜ったのだから、
しんどいのは当然、という考え方もできるのだろう。
でも、自分で選んだ道というのはそれはそれでしんどいものだと思う。
何も人のせいにできないのだから。

水中で喘いでいるその人たちの努力は、尊いものだ。
最終的にその努力は、周囲の人たちに還元される性質のものだから。
できれば、水中へ行って手をさしのべて、
と思ったりするが、そんな力もないし、されるほうも望んじゃいないだろう。

自分で選んだのだから、と自分を追い詰めないこと。
もがいている間にも、たくさんの人が応援している。
そうしている間に、息継ぎをしたり、体の力が抜けたりして、
最後には自分自身の泳ぎ方が見つかるだろう。
いつか、すいすいと泳げるようになって、
その人にしか見えない、すばらしい景色が見えるだろう。

努力した人にしか見えないその景色をうらやましく思いながら、
臆病者の私は、指をくわえて見ているだけ。