6月20日のさらさんのコメントに返答します。
長文なので、本文のほうへ掲載しました。
あしからず。

写真からの連想、人によっていろいろですね。
けっこう共通だったり、ぜんぜん違っていたり。
でも、そういうある映像からの連想を元に、
なぜ自分はそんなことを思い浮かべてしまうんだろう、
それは過去の何かと連動しているのかな、
自分の気持ちのどの部分がそのようなリンクを作り出すんだろう、
というようなことを考えるのは、自分の気づかない自分をさぐる一つの手がかりになりますね。
人間の心は「たまねぎのような形」をしている、
というのを何かの本で読んだことがあります。
心というのはもちろん形をなすものではないので、
単なる比喩にすぎないわけですが、
私はこのイメージを好んでいます。
私たちが普段言葉として意識できる「気持ち」や「気分」は、たまねぎのいちばん外側の茶色い皮の部分。
その内側に、外から見えない「心」が層を成して潜んでいる、そんな感じ。
普段意識できないたまねぎの内側の部分をさぐる作業を、
私は写真を通してしているように思います。
思えば、写真に限らず、絵でも文学でも彫刻でも芝居でもそういうものなのかもしれません。
自分の心、あるいは見る人の心の、見えない部分に必死で光を当てる作業。
芝居の脚本を書いているさらさんには、きっと思い当たることでしょう。
たまねぎの皮を一枚一枚はいで、少しでも心の芯に近づこうとする気持ちが、
もしかすると私たちが写真や芝居に向かうエネルギーの元なのかもしれません。

などと、ガラにもなく真面目なことを書いてしまいました。
実は単なる物欲のかたまりである私は、
今自転車購入欲に侵されていて、
web上の自転車屋やリアル自転車屋を放浪しています。
クロスバイクにしようか、折り畳みにしようか、
気分は日ごとに変わり、
悩みは募ります。
まあ、そうやって悩んでいる時期が実は一番楽しいのでしょう。

またもや、内容と何の関係もない今日の一枚。