過去と未来をのせたカメラ
ブログをさぼっている間に、夏が終わろうとしている。
夕方散歩に出たら、涼しくてとても気持ちよくて。
今日は、写真仲間からお預かりしたCANON A-1というカメラを持ち出す。
高校生の頃、友達のD君が持っていて、羨ましかったカメラ。
私は父のPENTAX K-2を使っていて、これはこれでとてもいいカメラだけど、
やはり人のカメラがうらやましいお年頃。
A-1は、当時の最新の技術が盛り込まれていた。
今使ってみれば、オートフォーカスでもないし、多分割測光でもないし、
間違いなく昭和のカメラだけど、当時の未来がつまっていた。
モノクロフィルムを詰めて、まだ陽が残る夕方の街を歩く。
気持ちのいい風と、軽くかわいらしいシャッター音に気持ち高める。
40年前のカメラは、クラシックカメラと言うのだろうか。
私にとっては新しいこのカメラは、今や古い存在となり。
未来と過去が入り混じったカメラを持ちながら、
「もう、これでええやん」と思う。
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さて、3連休もおしまい。
痛みの残る足をひきずって、散歩にでる。
流れているのか流れていないのかわからないどぶ川をみながら、
変わるものと変わらないものについて考える。
変えるべきものを変え、変えるべきでないものを変えないことはできるのか。
そして、何が変えるべきで、何が変えないべきなのか。
わからないことばかりなので、
せめてわからないことばかりだということをおぼえておこう。