「ドイツ写真の現在」感想文集(2)
      BeateGutschowベアテ・グーチョウ編

何も知らずにこの人の作品を見たら、
多分何も考えずに素通りしてしまうかも知れない。
それぐらい何気ない風景。
大きさは圧倒的だが、
とりたてて特徴のないドイツの田舎の風景写真をただ大きく引き伸ばしただけやんか、と。
しかし・・・

今回展示されている作品の中に、デジタル技術を用いているものが幾つかあるが、
どの作品もデジタルの特徴を非常にうまく生かしていると思う。
この作品もその一つで、完全なる合成写真なのである。
それも20枚から30枚のイメージを組み合わせて作られているという。
ということは、ここに写っているどこにてもありそうな風景は、
実際にはどこにも存在しないのだ。
部分部分はどこかに存在しているが、
全体としては存在し得ない風景。
かなり作品に近づいて合成の痕跡はないかとしばらく見てみたが、
そのような痕跡は私には見つけられなかった。
画面から離れてよくよく見ていると、確かに遠近感がおかしいような気がする。
近景に比べて遠景が急に小さくなっていてミニチュアのように見える。
ただし、「合成である」と言われて、あえてそのように見ればそのように見えるという程度である。(単に私の目が悪いだけかもしれない)
しかし、苦労して合成をして、こんなありきたりの風景を作ることにいったいどんな意味があるんだろう・・・

すぐに思いつくのは
、私たちが普段目にしている数多くのイメージは本当に実在の光景なのか、
という問いかけである。
合成でこれだけリアルのイメージが作れるならば、
世に流通する写真はどうなのかと・・・
何が本当で、何が偽者なのか。
さらにもう一つの問いは、
私たちは本当に自分の周囲の光景あるいはイメージをきちんと見ているのか、と。
この風景の違和感がどこまで見えるのか。
それは私たちが普段物をどのように見ているかということが問われているのではないだろうか。(それで言うと、私はかなり低いレベルにあると言えるけれど・・・)
最後に、この作品のイメージ、けっこう魅力的だと私は思うのだ。
最初は仕掛けにつられてじっと見ていたのだが、
だんだんこの風景そのものの良さが浮かび上がってきたのだ。
仕掛けは確かに凝っているが、仕掛けだけに終わらないフィニッシュの美しさが、
ドイツ写真の有無を言わせぬ魅力につながっているのかもしれない。

東京国立近代美術館ホームページから
http://www.momat.go.jp/Honkan/German_Contemporary_Photography/